エッジを利かせて蘇った円頓寺商店街(名古屋市)

 名古屋の三大商店街(円頓寺大須、大曾根商店街)に数えられた円頓寺商店街(えんどうじしょうてんがい)は、かつて衰退の危機にありながらも奇跡的に蘇った商店街として今、注目を集めています(山口あゆみ『名古屋円頓寺商店街の奇跡』講談社)。
 同商店街の始まりは江戸時代に遡ります。1609年の徳川家康の命で名古屋城の築城が始まったことから、人が集まり始め(清洲越し)、1654年に長久山円頓寺が創建されたことで門前町ができ、1911年には瀬戸町と大曾根を結ぶ瀬戸電気鉄道が開通して近くに駅ができました。これらを背景に一大商業地へと発展しましたが、1964年に新幹線が開通し、1976年に名鉄瀬戸線の最寄り駅がなくなったことから、人の流れが名古屋駅へと向かうようになりました。1980年代後半には後継者難から閉店する店が出始め、シャッター街への道をたどりました。
 この衰退を救ったのが、市原正人さんという建築家です。市原さんは、空き家・空き店舗再生プロジェクトを行うナゴノダナバンクを2009年に立ち上げ、奥さんを店主とするギャラリーショップ「ギャルリーペン」や、スペイン食堂「バルドゥフィ」を皮切りに、日仏食堂「en」、生パスタ専門店「あんど」、フーズ&バー「ホンボウ」、オリジナル懐石「満愛貴」、日本酒バー「圓谷」、カフェレストラン&ゲストハウス「なごのや」、歌舞伎カフェ「ナゴヤ座」など、10年かけて26軒の店を誕生させました。
 老朽化したアーケードをどうするかという大きな問題については、太陽光パネルの設置と補助金申請で数億円の資金調達を行い、アクリル板で透明な天井にしたアーケードを設けました。2015年には、パリで最も古いアーケード商店街「パッサージュ・デ・パノラマ」と姉妹提携しました。これにより、毎年秋に開催されるパリ祭に箔がつきました。
 商店街はエッジの利いた店であふれ、名古屋駅に流れていた人の流れを呼びもどすようになりました。円頓寺商店街の奇跡は、これからも続くことでしょう。