地方創生を成功させる原動力は無私の心

 2014年から官邸主導で始まった地方創生の取組みは、全国各地で小さな成功を生み、少しずつ進展しているように見えますが、まだ都会から地方への大きな人の流れを生み出すには至っていないようです。地方創生の動きを加速し成功させるには、地方創生マインドとも言うべきメンタリティーを醸成する必要があるのではないでしょうか。磯田道史先生の『無私の日本人』(文春文庫)を読むと、そんな気がしてきます。
 今から250年ほど前、宮城県北部にある吉岡宿は、年々重くなる税負担により衰亡の危機に瀕していました。他の宿場町は藩から助成金を受けられたのに、吉岡宿は藩の直轄領でないため、助成金が出ませんでした。時とともに人口流出が進み、空き家が増え、このままでは吉岡宿は滅びるのではないかと住民たちは危機感を覚えました。そこで立ち上がったのが、造り酒屋を営む穀田屋十三郎です。1766年、穀田屋は千両(現在の貨幣価値で約3億円)貯めて藩に貸し付け、助成金の代わりにその利息を受け取ろうと考えました。そして地元の有志9名を集めて足掛け8年かけて資金を貯め、1773年に藩に貸し付けることに成功しました。以後、吉岡宿は毎年、藩から利息を受け取り、住民に配分することで、人々の暮らしを維持することができました。
 吉岡宿を救うための資金集めにかけた穀田屋の苦労は、並大抵のものではありません。家財道具を売り、風呂をやめて水垢離にし、断食し、借金もして、たとえ身売りとなって一家離散しようともとの覚悟で資金を作りました。さらに、資金を藩に上納する際には、有志9人で「慎みの箇条」を記し、願いがかなっても何の栄誉も受けないこと、寄合でも上座に座らないことなどを約束しました。
 穀田屋ら9人の無私の精神が、不可能と思われた資金集めと藩への上納を可能にしました。わが身を投げうってでもかなえたいという無私の精神があれば、地方創生は成功するという教訓ではないかと思います。